女性会計士のキャリア先駆者、自分らしいキャリアの築き方とは!?
株式会社新生銀行 監査役 赤松育子 公認会計士・公認不正検査士
神奈川県出身、東京大学経済学部卒業。
1995年太田昭和監査法人(現EY新日本有限責任監査法人) 入所、2010年より学校法人産業能率大学 総合研究所 経営管理研究所 主任(のちに主幹)研究員として活躍し、2018年より株式会社トップスの取締役(現任)、2019年から株式会社新生銀行の監査役(現任)および日本公認会計士協会理事(現任)、2020年には株式会社カワチ薬品取締役(現任)および東洋製罐グループホールディングス株式会社監査役(現任)に就任、複数の企業で広く活躍している赤松氏。ポジティブな考え方で活動的に仕事をこなしながら、人とのご縁を大切にし、偶然をチャンスと捉え、自らの信じる道を進んでいく赤松氏の在り方は、キャリア形成に悩む人への良いヒントになるでしょう。
INDEX
資格ありきで飛びこんだ業界で直感を活かして活躍
―会計士を目指されたきっかけについて教えてください
尊敬する父が弁護士だったことから、幼い頃は漠然と父と同じ弁護士になろうと考えていました。「これからの時代、女性も手に職をつけて働くべきだ」と教えられて育ったことも大きく影響しています。
ところが実際に私が大学生になり将来を見据える年齢になったとき、父は弁護士としての大変さを娘に体験させたくなかったのでしょう「経済学部だから会計士はどうだ?」と言いました。その時の私は、正直なところ「会計士って何をする人?」という状態 笑。大学の講義には簿記も原価計算も監査論もありませんでしたから。
そこで父の大学時代からの親友で、当時監査法人理事長をしていた先生に、父と会いにいった記憶があります。
―卒業後はその監査法人に入られたのですね。
はい。
実はその大先生にお目にかかって内々定をいただいていました。これから試験を受けようとしている学生でしたが、当時は縁故入社も多かったのかもしれませんね 笑。
ところが私が合格したのは内々定をいただいてから3年後の1993年、バブルが弾けて会計士の就職環境も非常に厳しい時代になっていました。
私は女性ですし当時すでに結婚もしていました。合格発表を見て面接に出向くと、3年前私に内定をくださった理事長先生とは異なる監査法人の流れをくむ先生が面接に出ていらっしゃり「あなた主婦でしょう?子供が産まれたらどうするの?旦那に転勤があったらどうするの?」という質問を受けました。今からは信じられないNGワードですよね 笑。暗にお引き取りくださいというメッセージです 笑。
「確かに子育ての間は全力で働けないかもしれません。でも細くてもいいから、長く働き続けたいです」という思いを必死に伝えて、何とか非常勤としてスタートを切りました。
―そこから監査法人で17年というキャリアがスタートしたのですね。
「会計士とはどのような仕事をするのか」「そもそも監査とは何なのか」具体的なイメージは何ももたないまま試験を受けて会計士になったのですが、実は監査という仕事自体は非常に興味深く面白いものでした。数字の後ろには生身の人間の活動があって、それを数字で表現しているわけですが、そもそも学生あがりの私はビジネスについては全くの初心者です。多くのことをクライアントの皆様から教えていただきました。
また現在のようなパソコンもない時代、監査にはある意味単純なチェック作業も数多くありましたが、おそらくひとつのことを長時間かけても成し遂げること、単純に繰り返すことが比較的得意だったということもあるでしょう。
さらに子供を持ちながら働くママ会計士がまだ珍しく、当時はまだ監査環境ものんびりとしており、おおらかで面倒見のいい先輩方、穏やかな職場に恵まれたことも楽しかったと思える大きな要因だったと思います。
「プランドハップンスタンスセオリー」という考え方がありますが、偶然のできごとを直観的にチャンスと捉えて自分のキャリアに変えていく、目の前の出来事を前向きに捉える楽観的な性格であることも功を奏したのかもしれません。例えば所属していた大人数の監査チームで、入所後しばらくの間、メンバーのお弁当の数を間違えずに注文するというようなタスクがありました 笑。大所帯の監査チームですし、パートナーは朝にはいらしたのにランチ前に帰ってしまったり、逆にランチの直前に現れたり・・・笑。なかなか数が合わないのです。足りなければ自分がお弁当を食べそこねるし、多過ぎれば誰かに食べてもらわないといけない。たまに数がぴったり合うと「あぁいい仕事をしたな」と。そんなふうに思える鈍感な性格だったことが幸いしていると思います。
ふたりの男の子の子育てをしながら、ゆる~いキャリアを歩むうちに、次第に主査としてクライアントを任せてもらえるようになっていきましたが、電子監査調書が導入されて私にとっての監査環境が大きく変わりました。紙面調書の時代は、書かれている文字からその会社のことが浮かび上がってくるような感じがあります。
例えば専門家として何等かの不正リスクを感じとっているときには、必死になってその思いを調書に表現しようとするのですね。無意識であっても、その監査人の思いが字体に表現されますし、調書には監査人の思いが詰まっているのです。しかし電子監査調書にはそれがありません。誰が作っても美しい、パソコンで作られたきれいな文字が並ぶ電子監査調書が導入されて、どこにリスクがあるのか、私の直観がはたらきにくくなり心底怖くなってしまったのです。
監査人としての壁にぶつかったのでしょうね。電子監査調書のなかで、ある意味ドライにリスクアプローチをしていくだけではなく、何とかして自らのもつ職業的専門家としての勘を働かせたいのだけれど、どうしていいか分からない 笑。
そこで内部統制を勉強してみようと思ったのです。2000年頃でしょうか。
しばらくしてJ-SOX法(日本版SOX法)がスタート。
当時お世話になっていたパートナーのもとで、統合監査、J-SOXアドバイザリー業務を経験し、そこで得た知見をクライアントや監査法人に還元していくための研修業務まで経験させていただき、大変いそがしくも充実した楽しい時間を過ごしました。いまからは信じられませんが徹夜やタクシー帰りも多く、次男坊からは「いまどこにいるの?」「次はいつ会える?」と 笑。
当然のことながら体が悲鳴をあげて倒れ緊急手術、九死に一生を得て、このままの働き方で一生元気に働き続けることはできないなと大反省し、キャリアを見なおすきっかけとなりました。
ガバナンス、コンプライアンス、ダイバーシティも『多様性の活かし方』
―産業能率大学に入られた理由は?
無事に命拾いして職場に戻り、これから私はどうしたらいいのか、どうすべきなのかを上司に相談しました。大学時代に結婚して、会計士になって、可愛いふたりの子供に恵まれて、それでも何とか仕事を続けてこられて、思い通りにいかないこともたくさんあったけれど、とても幸せでした。
でも本当は自分が何をしたいのか、もう少し正確に言うならば、会計士としてビジネスパーソンとして何を大切にしているのか、真面目に考えたことはなかったような気がしました。この時が、初めて自分のキャリアについて真正面から向き合ったときだったといっても過言ではありません。
当時の上司は非常に理解のある素晴らしい方で、彼と何度も話し合ううちに自分の強みと弱み、目指したいことが明確になっていきました。
①現場感覚が強い、その一方でアカデミック、学術的な論拠を求める
②直観を大切にする
③思いを人に伝えようと努める
部下の思いを全力で受けとめ、一緒にキャリアを悩んでくださった上司には、感謝しても感謝しきれません。いま流行りの言葉でいえば、多様性を受容し、積極的傾聴のできるメンターでもあったのだろうと思います。
そして話し合いの結果ピンポイントに選んだのが、産業能率大学の社会人部門でした。
大学ではガバナンス、コンプライアンス、ダイバーシティの研究を約10年間いたしました。これは私がふたりの息子をもつママ会計士のはしりとして「女性が働くこと」についての自分なりの強い思いや課題感を抱いていたことによります。
働くことは生きることそのものです。
ただ働き方が長時間を前提とした画一的なものでは、何等かの制約が生じた途端に、働きたいと思っても働けない人がうまれてしまう。例えば子育てをしている、病気やケガ、遠方に住んでいて通勤に時間がかかる、介護がある等々。十人十色というように、人の価値観はそれぞれ尊重されるべきであるのに、なぜ働き方だけが画一的なのだろう。その画一的な労働条件に合わなくて組織を去ってしまう人がいるわけで、それは非常にもったいないことではないだろうか。
キャリアとはその人の人生の歩みであって、積み上げるだけではなく途中で休んだっていい。とするならば、キャリアをはしごを登るように捉えるのではなく、ジャングルジムのように考えて、登ったり下りたり、途中で休んだり、てっぺんにあがる方法だっていろいろあってもいいのではないだろうか。
このように考えてくると、ガバナンスもコンプライアンスもダイバーシティも、私にとっては「多様性を活かす」という観点で同じ概念なのですね。大学では、多様な価値観を組織の成長そして企業価値向上にどのように活かしていけばよいのか、クライアントに寄り添い課題解決をしながら組織風土を醸成していくコンサルティングを中心に、役員トレーニングや講演、研修などに注力いたしました。
大学でのコンサルティングは非常に有意義で楽しいものでした。ビジネスの第一線で頑張っていらっしゃる皆さまとご一緒に、組織をどうしたいのか、会社の未来をどうしたいのかを語り合うわけですから、当然ですよね。
ただ次第に、会計士・不正検査士としての実務経験と大学における研究で得られた知見とを、コンサルタントとしてではなく自らが社外役員として現場に直接関わり、ガバナンスの実務に活かしていきたいと考えるようになりました。
次世代にバトンを繋いでいきたい
―実際にいろいろな会社で役員を経験されてみていかがですか?
2018年8月株式会社トップス(チョコレートケーキに代表される老舗洋菓子業)の社外取締役をスタートに、現在は株式会社新生銀行(社外監査役)、株式会社カワチ薬品(社外取締役)、東洋製罐グループホールディングス株式会社(社外監査役)の任に就いております。
「多様性を受容し、組織の強みに変えていこう」と様々な場面で訴えてきましたが、いざ役員として実際に組織の中に入って推進しようとすると、当たり前ですがなかなか難しいことも多いです。ただ自らの限られた任期のなかでなすべきことをなし、当事者としての責任を果たして、必ずや次世代にバトンをつないでいくという思いで任務に就いています。もし自分の役割を果たせないのであれば、ずるずると役員の立場に居続けてはならないとの覚悟です。
―監査法人からキャリアチェンジしたことで得られたものは何かありましたか?
監査法人における職務は監査だけではありません。大きな組織のなかで様々な経験を積むことができますから、環境さえ整えば、監査法人のなかでしっかりとキャリア形成していくこともできると思います。
ただ私がいた部署では当時、女性には昇進のチャンスがありませんでした。働くママ会計士が珍しかった時代です。多様な働き方を受け入れる風土があったかといえば、残念ながら私の部門にはなく、無意識のバイアスがあり女性として大切に扱ってもらえる一方で、昇進するためには長時間働き続ける必要がありました。当時の私は、タバコを吸えるようになってタバコ部屋でお喋りをしたほうがいいのではないかと真剣に悩んだことすらありました。
縁故もあって雇っていただいた監査法人を辞めることは大変に残念であったことは確かですが、このままここに居ても先が見えなかったことも事実であり、その事実に背中を押されて外に出ようと思えたことは、今振り返れば幸せなことだったと思います。
監査法人は会計士というプロフェッショナルだけの職場で、ある意味特殊な組織です。外に出ることで世界がとても広がりました。会計士の強みも弱みもわかりましたし、人脈も広がりました。自らの可能性を信じ、役割を果たせているという実感がありますから、とても有難く感じています。かつては転職に対してマイナスなイメージを持たれる時代もありましたが、今はだいぶ変わったと思います。辞めたとしてもご縁がそこで終わってしまうわけではなく、"卒業生"として良い意味でのつながりを持つことができます。さまざまな場面で友好的なアライアンスを組むことがこれからの時代には大事なのではないでしょうか。
偶然を捉えうまくチャンスに変えて、次のステップにチャレンジすることはとても大切なことだと思います。「詐欺師症候群」という考え方があるように、女性はなかなか自分に自信を持てず、新たな世界に飛び込むことに躊躇しがちです。でもこれは逆に考えれば責任感が強いということでもあります。そういう女性としての自らの特性を理解していれば、自らの世界をどんどん広げていくことができると考えています。
―会計士業界における女性活躍についてはどうお考えですか?
会計士という資格自体に本来性差はないはずですが、まだまだ男性優位の業界ではあると感じています。とはいえ時代は大きく変わりつつありますよね。日本公認会計士協会としても、
①公認会計士制度100周年を迎える2048年度までに会員・準会員の女性比率を30%へ上昇させる
②2030年度までに公認会計士試験合格者の女性比率を30%へ上昇させる
というKPIを設定しています。本当は「女性」だけをターゲットにしては不十分だとは思いますが、マイノリティのなかのマジョリティということでまずは「女性比率」に焦点を当てています。私も日本公認会計士協会の理事として、KPIの達成に資するよう私の会計士人生の後半を捧げていきたいと思っています。
人とのご縁と日々の感動が成長の大きな原動力に
―現在のミッションと今後チャレンジしていきたいことを教えてください
ミッション。そうですね、私のミッションは、今後10年間で女性会計士の社外役員を増やしていくことでしょうか。
まずは私にとってこれからの10年間が勝負だと思っています。自らが社外役員としてどれだけのことができるか、コーポレートガバナンス・コードの観点から、またESGの視点から、これまで伝え続けてきたことを自らがどこまで実践・実現できるのかが試されていると思います。
例えば
・上場と非上場とで、社外役員に対する期待値は同じか否か
・社外取締役、社外監査役のあるべき姿の相違点は何か
・金融、小売、製造業など多様な業種業態における社外役員の立ち位置の異同点は何か
・ホールディングスの社外役員として責務を果たすための難しさはどこにあるのか
というように、現在私は社外役員としての役割認識に真正面から向かい合う日々を送っております。すなわち、上場と非上場、金融とメーカー、B to Cの社外取締役、ホールディングスの社外監査役というように、多様な社外役員の形態を経験しポートフォリオを組むことにより、自分なりのガバナンスのスタンダードを確立しようと思っています。
私を社外役員に選任してよかったとステークホルダーに感じていただけること、中長期的な企業価値向上のために私が存在する意義があったと、任期が明ける暁に感じていただくこと、それが私のなすべきことであり、チャレンジすべきことだと思っています。その結果として、女性会計士が社外役員に登用される意義が見いだされればと願っています。
そしてそのためには、私もまた会計士業界も学び続けることが必要であると考えています。
公認会計士法第一条には「公認会計士は、監査及び会計の専門家として、独立した立場において、財務書類その他の財務に関する情報の信頼性を確保することにより、会社等の公正な事業活動、投資者及び債権者の保護等を図り、もって国民経済の健全な発展に寄与することを使命とする」とあります。私たち会計士は市場の番人なのですね。でも会計士は投資者の視点をもって市場を見渡したことがあるでしょうか?必ずしも機関投資家から見た市場の在り方等を語れるだけのスキルがあるとは言えませんよね。そのため現在、JSI(ジャパン・スチュワードシップ・イニシアティブ)に所属し、世の中を投資者の視点で見たときに、役員そして会計士として何をなすべきか、例えば非財務情報をどのように数値化していくことが望ましいのか、適時な情報開示のあるべき姿とは何か等を研究しています。
ふたりの息子を育ててきた生活者としての視点、会計士としての半生、大学で多様性を研究してきた10年間、これらの私の経験と知見を、ご縁をいただいた会社の中長期的な企業価値向上に役立てることができるよう、引き続き努力し続けて参りたいと存じます。
―これまでの経験で大きな学びにつながったことはありますか?
振り返ってみると、その時その時に自分の関心のある分野に集中し、その結果としてさまざまな経験を積み重ねてくることが出来ました。でもよくよく考えてみると、実は「女性が働くこと」言い換えれば「女性のキャリア」という根底に流れる共通の関心ごとがありました。すなわちそれは「価値観の多様性を受容し、組織の強みに変えていくこと」です。ゆえに私にとってはダイバーシティもガバナンスもコンプライアンスも、「多様な価値観を受けいれる、その在り方」として共通のテーマなのです。
さまざまな場面でさまざまな仕事に取り組んできましたが、実は切り口を変えているだけで、ずっと自分の関心を追い続けてきたのだと思います。何かがすごく大きな学びになったというよりも、興味を持っていることを追い求めてきた結果がいまなのです。
学びという点でいえば、人から学ぶことは非常に多いです。私自身は思考が内向的ですので一人で内省する時間も非常に大切ですが、そこに新たな視点を加えスパイスを与えてくれるのは人ですから、人とのご縁を大切にしています。コロナの時代で対面のコミュニケーションは制限されましたが、オンラインの手段がいくつもありますから、こういう状況でも話をしたい人に積極的にコミュニケーションを求めています。パーツロールモデルとして素晴らしいなと尊敬する方も多いですし、プライベートでもビジネスでも、楽しいときは笑い、辛いときは支えあえるかけがえのない友人たちもいます。
―たくさんの方とお会いするなかで、尊敬される方はいますか?
ある意味メンターとして全人格的に尊敬し慕っている人もいます。ビジネスにおける自分の役割と、ひとりの女性としての幸せとを秤にかけ思い悩んでいたときに、世の中における私の役割を明確に言語化し、役割を全うすることが必要だと背中を押してくれたのが彼でした。彼がいなければ私は第一歩を踏み出すことはなかったと今でも思いますし、ビジネスパーソンとしての私を精神的にも能力的にも支えてくれていると感謝しています。
ダイバーシティ&インクルージョンで会計業界を変えていく
―次のキャリアへ向けて悩んでいる会計士にメッセージをお願いします。
人とのご縁に感謝にしながら、今を大事にして、偶然をチャンスと捉えて活かしてほしいと思います。日本公認会計士協会では、ダイバーシティ&インクルージョンをひとつの柱として掲げ、2019年からは女性会計士、社外役員、組織内会計士の垣根を取り払い、会計士の多様な働き方を広く支援しています。
本来、会計士はジェンダーの差がない仕事ですが、体力1つとっても男性と女性では違いますよね。各自それぞれ、体力的にも時間的にも物理的にも制約を有しているはずです。いままではそれを表に出す勇気や機会がなかっただけにすぎません。
監査法人のなかでずっと働く選択肢もありますし、独立して、また事業会社の中でも活躍の場は広くあるのです。社外役員という活躍の場があることも、もっと多くの若い会計士の皆さんに知っていただきたいし、そのために自分には何が足りないのか、どのように自分を磨いていけばいいのかを真摯に考え、学び続けてほしいと願っています。
今後も私は協会の理事として、互いの多様性を認め合いながら働き続けることのできる環境を整えて、次世代の会計士たちのためにバトンを繋いでいきたいと考えています。
Profile
赤松育子(あかまついくこ)
東京大学経済学部卒業
1995年 太田昭和監査法人(現EY新日本有限責任監査法人) 入所
2010年 学校法人産業能率大学 総合研究所経営管理研究所 主任(のちに主幹)研究員
2018年 株式会社トップス 取締役(現任)
2019年 株式会社新生銀行 監査役(現任)、日本公認会計士協会理事(現任)
2020年 株式会社カワチ薬品 取締役(現任)、東洋製罐グループホールディングス株式会社 監査役(現任)
(編集後記 会計士UP 代表 石田)
大企業の役職をいくつも担いながらも、非常に穏やかで柔らかで、ユニークな赤松さん、そのお人柄にいつも魅了されています。今回のインタビューでは、切り口は違っても、一貫して多様性というテーマを追い続けているキャリアのお話がとても印象的でした。会計士業界の未来へも想いを馳せ、覚悟をもって役職をお務めになられ、次世代へ繋いでいかれようとする姿に、同じ会計士の先輩として心より敬意を表すると共に、今後の益々のご活躍を確信した、そんなインタビューとなりました。